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秦野市のねぎし歯科医院をのぞいてみませんか? |
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インプラントってどんな治療をするの?という疑問にお答えします。 |
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予防歯科って?という疑問にお答えします。 |
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当院の歯科医師・院長 根岸 龍一の生い立ちです |
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生い立ち |
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私は昭和40年8月27日、新宿で二人兄弟の長男坊として生を受けました。
生まれた時の体重は4,000g。かなり大きな赤ん坊だったと思います。
私が生まれた年は、まだ医療技術も優れたものではなかったでしょうから、
大きな身体を授かって生まれた私は「産むだけでも大変だった」
と後に母に言われました。
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幼稚園の頃はいわゆる「大きなボーっとした子供」でした。
3歳頃からピアノを始めたり、器械体操や絵画、水泳等も始めたり、
とにかくたくさんの習い事をしていました。
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小学生時代 |
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私の当時の成績は四谷大塚という有名な進学塾でも名前が載る位の、まぁまぁの成績優秀児でした。
私の父は非常に厳格な医学研究者で、「医学を追求するものが、生き物を飼うなんてナンセンスだ」
という考えを持っていたのですが、私はもともと生き物が好きだったので、
ザリガニやカブト虫を捕まえてきては、家でひっそり飼育していました。
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小学校2年生の時、私が幼少の時に愛用していた「赤ん坊用お風呂」を用いて、
何十匹ものオタマジャクシを飼っていたのですが、ある豪雨の日、「お風呂用水槽」の中にいた
オタマジャクシが脱走してしまって、号泣した思い出があります。
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中学生時代 |
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いわゆる「お受験」に失敗した私は、中学は近所の公立中学校に進学しました。
所属していた部活は放送部でした。
当時の放送部はそれまで教師の主導で運営されていたのですが、
私がリーダーシップを発揮し、主体性のある部に育てました。
当時から、あるグループの中で皆を引っ張っていくという事は好きだったように思います。
私の父は医学博士でしたので、私も自然と「医師になりたい!」と思いました。
自分で言うのも何なんですが、私は勉強が得意でした。唯一苦手な科目が英語でした。
本来負けず嫌いな私は「英語が苦手なのは、読解能力が欠けているからだ→
読解能力が欠けているのは、国語力が落ちいているからだ」と考えて、その頃から本を読み始めました。
好んで読んでいた本は『世界文学全集』等、父親の蔵書でした。
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高校生時代 |
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名門の私立城北高校に合格した私は、身体が大きい事が幸い(?)し、先輩からのアツい勧誘により
柔道部に入部しました。
何となく軽い気持ちで入部した柔道部でしたが、あまりの過酷さと暑さで毎日「辞めたい、辞めたい」
と思っていました。実際に多くの仲間が道場を去っていきました。
私はもともと大の負けず嫌いでした。
「一度舞台を降りた人間は、改めて舞台に上がる事は難しい」と思っていましたので、
歯をくいしばって続けました。
当時も私は医師を目指してました。しかし部活動に熱中し過ぎた私は次第に成績も下がってきて、
ついには高校3年生の時、殆どの科目で追試になるという不名誉な勲章を得てしまいました。
学業はこんな調子でしたので、当然のように浪人生活が始まりました。
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歯学部時代 |
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長い冬を経て、明海大学歯学部に入学した私は、ラグビー部に入部しました。
一年で私以外の全ての同級生が辞めていく程の過酷な部でしたが、私はこのラグビーを通じて、
とても大事な事を学びました。
それは「チームプレー」という事です。このラグビーというスポーツ
はひとりのヒーローがいてもダメで、まさに“ひとりはみんなのために。みんなはひとりのために”
という精神が求められ、そしてその精神が無いと、決して勝つ事が出来ないのです。
「脚が速い」「パスが上手い」「スター性がある」こんな事は、ラグビーをやっていく上で、
そこまで重要ではないのです。 一番大事なのは「ハート(心)」なのです。
そのハートを持ち合い、一致団結する事で初めて“チーム”になれる訳ですし、
そうやって初めて“勝利”を掴めるのです。
この事は歯科医療の現場もかなり近いと思います。
「私は医師だから」「私は衛生士だから」「私は受付だから」というスタンスで仕事をしていたのでは、
決して上手くいきません。
“チーム医療”という言葉があるように、歯科医療もチームで診療していくものです。
職種を超えて協力し合った時、本当に患者様に喜んで頂けるサービスをご提供できるのだと思っています。
そんな歯科医師としての礎を学んだ、ラグビー漬けの6年間でした。
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勤務医時代 |
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資格取得後、埼玉の歯科医院に3年、小田原の歯科医院に同じく3年勤務しました。
私は当時、大きなカン違いをしていました。私はそれまで「自分は歯科医師なのだから、
“歯”を扱っていれば良いのだ」という気持ちがありました。
しかしそれは間違っていました。私が診ているのは“患者様の歯”ではなく、
“患者様の生命(いのち)”だったのです。
勤務医時代に私の師匠に言われた言葉があります。
「根岸君、歯だけを診ていると、歯医者にはなれないよ。歯医者になろうと思ったら、
歯以外のものを診れるようにならくてはならないんだ」
この時の師匠の言葉が、今の私の診療の基礎となっています。
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開業医〜現在 |
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「開業しよう!」そう思った決意した際、親しくさせて頂いている歯科技工士の方から
この秦野の地を紹介されました。
当時は特に秦野で開業しようという気持ちが強くあった訳ではないのですが、
実際にこの秦野の地を初めて訪れた時、丹沢の美しい山々に囲まれた素晴しい所である
、と同時に交通の便も良く、東京や新宿にすぐ出れる、なんてバランスの良い場所だろうと思いました。
私は新宿で生まれて、育ったのですが、新宿とはまた違った土地の雰囲気であるとか、
そこで生活している人の温かみ(新宿住まいの方ももちろん優しいと思いますが)を
秦野から感じ取る事が出来ました。
このような理由でこの地に2004年の6月に開業しました。
開業してから早や2年。 「人々に愛される歯科医院作り」を目指した結果、
秦野だけでなく小田原、厚木、伊勢原など遠方からの患者様もいらっしゃって頂けるようになりました。
これからも多くの患者様に、長い間愛して頂ける歯科医院作りをスタッフと共に頑張っていきたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。
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午前: 9:00 〜 13:30
午後:15:00 〜 19:00
休診日:水曜・日曜・祭日
TEL:0463-85-6480
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当院では、一緒に働いてくれる歯科衛生士・助手を求人しております。
詳細はこちらから。
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